Alain Raymond

改革者

1965

父アルベール=ヴィクトール・レイモンの共同経営者として任命される

1970

新特許

自動車と繊維産業の為のプラスチック射出成形の新製品の開発。スナップボタン、アイレット、リベットの取り付けのための自動化機械の導入。建築物、船舶工事現場用のファスニングの多様化のはじまり。

1972

世界規模に発展

自動車産業市場におけるの発展は企業を国際化へ導いた。RENAULT 社が組み立て拠点としていたスペインに進出。FIAT社とより緊密な関係を作るためイタリアにも1980年に進出。

1975

ジャン=シャルル・カメニッシュ(Jean-Charles Camenisch)

ジャン=シャルル・カメニッシュはドイツにおけるA.Raymondの経営をジャン・ペロシャの後に継ぐ。

1979

ガブリエル・ゲーラエ(Gabriel Geeraert)、アラン・レイモン、ジャン=シャルル・カメニッシュ(Jean-Charles Camenisch)

1979年アルベール=ヴィクトール・レイモン死去。ガブリエル・ゲーラエが共同経営者として任命される。1980年ドイツ工場は独立をはかり A.Raymond GmbH & Co. KG社となる。1985年にはジャン=シャルル・カメニッシュ がA.Raymondグループの3番目の経営者に任命される。

1985

A.Raymond SARL(有限会社、フランス)子会社のRAYFIXと共にマスマーケットに参入

1986

スナップボタン100周年記念

A.Raymondグループは常に革新的で市場の変化に対応したクリップファスニングのヨーロッパのリーダー企業となる。ARaymond™ が商品化した「クラシックlな製品は現在でも生産のの10 % を担っている。

1987

アントワーヌ・レイモン(Antoine Raymond)

アラン・レイモンの長男、アントワーヌ・レイモンがこの家族経営企業の一員となる。ドイツで営業部、その後マーケティング部に移動する。

1989

新専門技術:流体コネクタ

プラスチック射出成形の技術の熟知のおかげでA.Raymondグループは自動車燃料回路の為の第一世代接続部品を世に出す。

1990

アルベール・レイモン(Albert Raymond)

アラン・レイモンの次男アルベール・レイモンが会社の一員となる。コネクタ開発マネジャー、低高圧用コネクタの工業化責任者に任命される。

1992

パスカル・デストルモ(Pascal Destremau)

アラン・レイモンとアントワーヌ・レイモンの片腕として共同経営者に任命される。財務、工業部門を担当した。自動車産業部門が活動内容の85%を占めた。

1995

ファッションアクセサリー

画期的なコネクタ、ファスニングソリューションは自動車産業の為に発展した。対騒音ファスナー(AR-Bag®)、ワイパーノズル、高圧コネクタなど…

1995

ファスニング技術への情熱

画期的なコネクタ、ファスニングソリューションは自動車産業の為に発展した。対騒音ファスナー(AR-Bag®)、ワイパーノズル、高圧コネクタなど…

1999

時代の終わり

グローバル化と繊維産業の海外移転はスナップボタンと経済サイクルの終わりを意味しました。この歴史的な分野の活動停止は幹部や社員にとって辛いものでしたが従業員を解雇することなく、別の部署に異動させるという方針を取りました。グルーブの社員2200名。

アラン・レイモン定年退職

1999

Antoine Raymond

統一者
彼はビジネスの中心に人を配置します。アントワーヌ・レイモン(Antoine Raymond)はARaymondグループを多文化間協力、専門技術共有の時代に導き常に顧客サービスを提供している。